あなたの涙を未来の幸せに変える
癒しの寄り添いカウンセラー キララ
はじめまして。
苦しい過去が宝物に変わる具体的な方法をお伝えし
あなたの涙を未来の幸せに変えるカウンセリングをさせていただいております
キララと申します。
私は3人姉妹の長女として生まれました。
家庭環境が穏やかではなく、常に親の顔色を伺いながら過ごしておりました。
小学生時代は受験勉強に苦しみながらも、作られた優等生を演じていました。
小学6年の時に、辛い家庭環境と受験勉強に疲れ果て、自○を図ろうとするも出来なく終わりました。
そし小学6年の2月に、臨死体験をしました。
この体験が後にカウンセラーを志すキッカケとなりました。
20歳〜6年間幼稚園教諭として働いて22歳で結婚し
蕎麦屋に嫁ぎました。
26歳に幼稚園を辞め蕎麦屋の家業に入りました。
その頃より義母の4年間に渡る更年期障害が始まり
毎日暴言を浴びるようになり、耐える毎日でした。
同時期に不妊が発覚し、喪失感と、なんで自分が という思いでいっぱいで
一生分の涙を流し乗り越えるのに3年近くかかりました。
その後、難病のメニエール病を発症。
38歳で准ケアストレスカウンセラー資格取得するも、のちに
自身が心身症(うつ病)と診断されてしまいました。
その後、気功に出会い、心身ともに繋がっている事を学び
瞑想などで内観するようになったり呼吸を整えるえたりすると
様々なことが紐解いて解決していきました。
幼少期の頃から、どうせ自分なんてという気持ちが強く
自己肯定感が低くマイナス思考だった自分が
心理学で心の仕組み在り方を学んだ事により、過去の幼少期のトラウマが
原因であることを知り解消されると自分のすべてを受け入れられるようになり
自分らしく、自分のワクワクする選択をして生きていけるようになりました。
臨死体験をした観点から、死に対しての恐怖を抱いてる方の恐れや不安が
少しでも取れて安心して生活できるようにお話しさせていただきたいと
思っております。
あなたの涙を未来の幸せに変えていきませんか?
より詳しいプロフィールをご紹介します。
よろしければご覧くださいね
顔色を伺っていた幼少期 常にビクビク
3人姉妹の長女として生まれる。
父は普段は優しく面白く一緒に遊んでくれたりしたが
アルコールが入ると豹変し怒鳴る物は投げる母に暴力を振うなどの
強度のアルコール依存症でした。
なので毎日の様に両親の喧嘩が絶えなく、その喧嘩の声で目が覚めて
長女である私が止めに入りに行くと、そこには包丁を母にかざしてた父の姿がある事もありました。
止めに入ると次の矛先は私に代わり、正座をさせられ何時間も訳のわからない
説教が始まりただただ時間が過ぎるのを待つしか方法はありませんでした。
しかしその記憶は父にはないので次の日になるとまたいつもの優しい父に戻るのです。
なのでいつも顔色を伺って、人の感情の変化にいち早く気づくようなり
常に怯えて過ごしておりました。
こうあるべきと植え付けられた価値観でいつもガチガチ
一方、母はたっぷりの愛情を注いでくれ、生きていく上での大切な価値観を
沢山教えてくれた一方で、躾にとても厳しくヒステリックに
いつも怒鳴られていました。
今思えば母も父のその様な日常から逃げるようにストレスの吐口が自分に向き
育児ノイローゼの状態であったと思います。
母親の言うことを信じて母親の望んでいる答え、姿を演じていて本来の自分が
何か分からない状態でした。
苦しみから人生を終えようとする どうせ自分なんて
グレーゾーンであった私に、母は毎日のように
あなたは人が1努力するところを100努力しないといけない!
その代わり努力すればみんなと一緒になれると言われ続け
次第に劣等感が植え付けられていく。
私が高校受験、大学受験で更に苦労しないようにとの母の私を想っての行動が中学受験をするという選択でした。夜中まで勉強させられ、何度言えばわかるんだと耳を強く引っ張られたり
つねられたりしながら苦痛の毎日を送っていました。
お陰で学校ではクラス一の優等生になり学級委員をやってましたがそれは作られた姿でした。
次第に自己肯定感が低くなり、常にどうせ自分なんてという思考になり
劣等感が強くなり、辛い状況から逃げだしたく小学校六年生に遺書を書き
自○をしようとしましたが、出来なく終わりました。
臨死体験を通じて感じた事
中学受験前日から高熱がでてしまい、試験当日はなんとかテストに臨み
次の日うなされて寝ながら、母から合格結果を聞いた後、ホッとしたのでしょうね。
実際に熱が更にあがったのだと思います。
その時に臨死体験をしました。
その時は小学生でしたので臨死体験という概念、言葉を知らなかったのでのちに知ることになるのですが。
その時の感情は死ぬって怖くないのだと強く感じました。
自分の短い12年の記憶がバッーと走馬灯のように小さい時からの出来事が
スクリーンのように流れてきて、実際覚えてないような細かい出来事まで。
辛かったはずなのに流れてくる思い出はとても楽しくて幸せなものばかりでした。
その時に色々あったけれども愛されて幸せな人生だったなと
とても幸福感に包まれた温かな思いで胸がいっぱいだったのです。
結局あちらの世界に渡る一歩手前でこちらの世界に呼び戻される事になるのですが…
まだ生きる使命があるのだなと強く思いました。
そして臨死体験をした事をキッカケに信じる信じない別にして
死後の世界は存在していて死ぬのは決して怖くない(自○は別)事を
伝える使命がある事を漠然と思いました。
将来の夢を見つける
中学の頃にお隣に住んでいたお家に赤ちゃんが出来、よく面倒をみる事になり子供が大好きなんだという事に気づき、その頃より幼稚園教諭を目指してました。
ただやはりいつかは臨死体験で感じた死ぬのは怖くないという事を伝える
仕事をしたいと思っており、でも今ではなくそれまでに沢山の経験と
喜怒哀楽を積まなくてはと思っておりました。
スピリチュアルな世界に興味を持つ
高校3年の時より蕎麦屋でアルバイトをしました。
その時に蕎麦屋の女将になるというメッセージが降りて来ました。
専門学校の卒業謝恩会の時のイベントで引いたくじの質問に答えるというので、10年後の自分は?と聞かれ、自分の意識は全くなく、お付き合いもしてなければ好きでもないのに、蕎麦屋の女将になってますと勝手に口が動き発言してました。
その後念願の幼稚園教諭になりました。
22歳の時に発言通りに蕎麦屋の息子と結婚しました。
その頃より様々な不思議な経験から見えないスピリチュアルな世界に
興味を持つ様になりました。
子供が欲しかったので6年働いた幼稚園を辞めて完全に蕎麦屋で働いていました。
不妊で一生分の涙を流す 人の幸せが羨ましい
しかしながら、なかなかかなか赤ちゃんが授からず、不妊で調べたところ
出来ない事が判明しました。
全ての出来事は偶然ではなく必然であるという事は頭では理解していたものの
子どもが大好きな私は一生分の涙を流しその現実を受け入れられるまでに3年の月日を費やしました。
幸せそうな家族の光景をみるのもとても辛いものがありました。
また周りからの親孝行してあげないと可哀想だよとか、子供がいないと自分にお金が使えるからいいじゃないと、心無い言葉に沢山傷つきました。
そして人の幸せと比べては落ち込んでいる毎日でした。
義母の更年期障害が始まり感情に蓋をする
27歳くらいの頃より一緒に蕎麦屋で働いていた義母の更年期障害が始まりました。
アルバイトをしてた頃より一緒に働いており大変気に入られて仲良かった義母が人格が豹変し毎日鬼の形相で暴言を浴びせられ、それはそれは大変辛い日々が4年続きました。
義母の感情の起伏もとても激しくなり機嫌がよかったと思ったら
急に怒り始めたり幼少期の時の様に常にビクビクし顔色を伺う生活になりました。
家族でご飯を食べに行った際にも私に向かって1時間説教されて
でも夫も義父も口出ししたら余計に逆撫でしてしまうので何も口出し出来る状況でなくただただ時間が過ぎるのを我慢する事しか出来なかったのです。
誰も助けてくれない状況にも、言われている事にも悲しみが溢れ
我慢していた涙が溢れてしまいました。
すると、女の武器を使うんじゃないよと罵倒されました。
それを機に悔しいから絶対に何があっても涙を流すのはやめようと心に決めて感情に蓋をしてしまいました。
そのような状況が4年程続き最後の方には夫も立ち向かっていってくれる様になりそれは病気だから一緒に病院に行って欲しいと伝えてくれました。
しかし、あんた達は自分の事をそういう目でみていたのか、夫が私に手の上で転がされてるだけだ、と逆ギレする状態でした。
精神的にボロボロになり、誰かに相談する気力すらなくなり、その頃は自○はダメだとはわかっていたので、自分の存在をここから消したいという思いで必死にもがいていました。
価値観に縛られ、相談出来なかった
幼少期からレールに敷かれた人生を歩んでいたので
自分で考えて決断するというのに時間がかかったのと生真面目な性格から自分の事は自分で責任を取るという変な責任感から誰にも相談する事が出来なかったのです。
誰にも相談する事なく出した答えが離婚するという決断でした。
そして離婚を切り出したところ、義母が急に態度が変わり泣いて謝り、お店には一切関わらないようにするから離婚だけは辞めて欲しいと懇願され
承諾しました。
その後、夫と複数人のアルバイトのスタッフと共にお店を朝から夜中1時まで10年位は切り盛りするようになりました。
難病のメニエール病発症
ストレスからなのか過労からなのか眩暈と吐き気がよく起こるようになり、難病指定のメニエール病と診断されました。
一生治らないのでこの病気と仲良くやっていきましょうと言われて、そこから4年間毎日薬漬けの日々が始まり眩暈と吐き気に苦しみました。
同時に胃も痛くなり、胃カメラを4年飲み続けました。
心身症と診断される
ある日突然、喉が詰まった感じに違和感がありご飯が喉を通らなくなり
食欲が段々となくなっていきました。
しまいにはヨーグルトとかも飲み込む事すら出来なくなり
夜寝る時に背中の激痛でベットに横たわる事も困難でベットに座って夜が明けるのをひたすら待つしか方法はありませんでした。
その頃は重病を疑っていました。
仕事場には普通に行けるのに、お客さんの視線とか人の目がとても気になるようになり急に電車に乗れなくなりました。
とうとう倒れてしまいCTとMRIの検査をすると、鬱病が身体に症状として現れる心身症と診断されました。
自分がまさかという感じでした。
その数年前に、将来の為にカウンセラーの資格はとっており
知識はあったのですがいざ自分がなってみて初めてなった人の気持ちが
痛い程わかるので、知識だけだと私の場合は頭でっかちになっていたなと思い
鬱病になった経験は私にとって財産だと後々思いました。
対策として環境をまず変えていき、営業時間を早めたり
定休日を増やしました。
気功と出会い心身の健康を手に入れる
ただ身体の状態は変わらず、藁もすがる思いで母が通っていた気功教室に入門しました。
母もメニエール病で気功をやり始めて完治したので以前から勧められていましたが、怪しいの一点張りで自分の考えに固執しており、聞き入れる耳も持ってなかったのです。
私には気功があっていて、しばらく通うと自然と食欲と笑顔が戻るようになり、
メニエール病も完治し、胃の痛みも一切なくなりそれ以来薬を一切飲まなくても
元気な身体になりました。
それ以来今でも10年以上気功教室に通っています。
健康になり瞑想で自分を内観するようになると様々な事が紐解いて解決していきました。
人に頼る事、愚痴を言う事が出来なかった過去
この時に初めて全てを頑固に頭から否定するのではなく
柔軟な心と思考と生き方であればそれを受け入れるかは別として
見える世界が変わって行くのだなと強く思い、柔軟な思考に少しづつ
変われた大切な学びとなりました。
そして自分で全てを抱え込むのではなく、周りに助けを出してプロの方の力を借りる大切さを学びました。
小さい時からこうあるべきという固定概念に縛られていて、愚痴やネガティブな事は言ってはダメだと自分で自分を縛っていた為に、周りに🆘が言えずにひとりで抱え込んでいました。
もう少し早く頼って行動出来ていたら時間も無駄にはならなかったとは思いますが、それも自分にとっては学びだったと思います。
ただ、皆さんにはその私の学びを活かして
1人で抱え込まないでくださいね♡
とお伝えしたいです。
コロナ渦で価値観が変わる
コロナの時期に家業の蕎麦屋の閉店時間が国の要請で20時になり
初めて時間ができ夜中まで働いていて、いつも忙しくて気づかなかった
当たり前の幸せに気付けるようになりました。
夫婦でのんびり犬と散歩したりする事の幸せを噛み締めながら、大切な何かを失っていて、求めるものは仕事でもお金でもないと強く思い、今後の仕事の在り方、生き方を考えるきっかけになりました。
自分軸で生きられるようになる
幼少期の頃より母にこうあるべきという常識や固定概念が
植え付けられていたのですが、心の仕組みや在り方を学んでいくと
やっと自分の本心に向き合う事ができ魂の喜ぶ選択をしていけるようになりました。
そして40年続けてきたお稽古事を辞めるという決心が出来、母に報告したところ反対されたのですが、45歳にして初めて母に反発して想いを伝えました。
それをきっかけに他人軸で生きてきた自分から自分軸で生きていけるようになり、結果 更に幸せを感じられる様になりました。
何歳からでも人は変われます
自分がそうであった様に、何歳からでも自分を変えて行く事が出来るのだという事を 声を大にして伝えていきたいです。
そしてその芽生えてる変わりたいというお気持ちを
どうぞ大切にしてくださいね。
いつかはカウンセラーになりたいとは思っていても、蕎麦屋に嫁いだ以上
自分のやりたい事を思い通りにする事に罪悪感がどこかであり
いざ行動に移す事にストップをかけていたけれども
自分の心に素直に生きていいのだと自分にオッケーを出してあげたら
本来の自分らしさを取り戻し
感情に蓋をする事なく受け止めてあげられるようになりました。
そうしたらカウンセラーになるという夢を現実に動かしていこうという行動が
出来る様になりました。
ただ皆さんには私のように遠回りする事なく、自分らしさを取り戻し
幸せになる為に時間を使っていただきたいです。
自分の過去と現在
環境や人のせいにしてどうせ自分なんてと自己肯定感が低く
ネガティブでしたが、内観するとともに両親を親だからこうあるべきと自分で縛っていただけで、親だって誰だって初めて親になり上司になり初めて老人になりと全てが初めてだらけで完璧な人は誰もいないと思えるようになり
臨死体験を通じて両親も自分で選んで産まれてきている事実がわかると
すんなりと受け入れられる様になりました。
そして親であっても1人の人格で親は親で色々悩みもがいてると思うと
愛情の示し方が少し間違えてしまっただけで愛情はたっぷりもらっていたのだと気づき今は感謝の気持ちでいっぱいで大好きです。
赤ちゃんが出来ないを受け入れられるまで相当な時間を費やしましたが
私には個性の違う可愛いスタッフの子達がいるではないかと気づき
ひとり1人に合わせた教育をしていき旅立って行く姿をみて
上司になる事で私自身を親にしてくれたと思えたら感謝の気持ちで
いっぱいになりました。
また姿カタチ違えど犬を飼っていたのでその子が私をお母さんにしてくれました。
小学生の頃、牛、馬、魚とテレパシーでお話しした事がありまた亡くなる前にちゃんと意思疎通してお話しできたので
例えペットでも言葉、気持ちはわかっている事を伝えていきたいです。
今は2匹目の犬を飼っています。
義母との関係性では人は変えることは出来ないと思い、自分が変わらなければと思い、人が人を捌くなんて傲慢だと気づいたら10年近くの月日を経て許せるようになり楽になりました。
今では良い嫁を演じるのではなく、言いたい事は伝えられる様になり
一緒にご飯や旅行にも頻繁に行き、良好な関係を築けています。
辛い経験でしたが、それも私にとってかけがえのない財産です。
♡メッセージ♡
私は幼少の頃から人の思っている事や嘘や感情が手に取るように
わかってしまい、悩み、その事により辛い思いもしましたが
今はそれを特性と捉えてクライアントさんに優しく寄り添いながら
お話をさせていただこうと思います。
お話を進める中で、押さえ込んでいた感情やトラウマや思考の癖に気づく
キッカケを渡し一緒に解決の一歩を踏み出せたら良いなと思っております。
涙の数だけ強くやさしくなれます
ペットや大切な方の最後を思うと辛い方
ペットロスや大切な方の死別で辛い方
病気やそのご家族で向き合い方に悩まれてる方
私の臨死体験を通して少しでも不安や悲しみが取れ心穏やかに過ごす事が出来ますようにお話しさせて頂きたいと思います。
また不妊、失職、離婚などで喪失感が消えない、幼少期のトラウマや親子関係をひきづって自己肯定感が低く人の顔色を伺って生きている方や
自分を後回しにして自分軸ではなく他人軸で生きている方が
本来の自分らしさを取り戻し毎日を笑顔で過ごせますように
苦しい過去が宝物に変わる具体的な方法をお伝えし
あなたの涙を未来の幸せに変えるカウンセリングを
させていただきたいと思います。
その涙を、宝物に一緒にしていきませんか?